こちら、王制復古期のステュアート朝時代・1661年にチャールズのために作られたオーブ(Orb)をお土産用に真似たもの。実際のオーブは、600個を超える宝石やゴールドがあしらわれた豪華なもの。ちなみに同年4月23日にチャールズはウェストミンスター寺院で戴冠式を挙げている。★
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今日、愛車Miniのダッシュボードにオーブの飾りをくっつけた。車内にあれこれデコレーションするのは嫌いだが、何かひとつ、ほんのちょっと色をつけたかった。それで、もうかれこれ10年も前にグラフィックデザイナーの友人から、当時イギリス土産としてもらったオーブのレプリカがあったことを思い出し、それをつけたのだ。オーブとは、十字架つきの宝珠のことで、キングやクイーンが式典のときなどに持つもの。王冠や杖のてっぺんにも付けられることがあり、そちらの方がイメージしやすいかもしれない。実は、友人からこれを頂いた当時、私は感覚的にとてもださかった。それで、このかわいさを理解できずに友人を憤慨させた苦い思い出がある。雑貨に限らず、数年前に自分の選んだ服や物を見て「どうしてこんなもの選んでいたのだろう…。」と、まま思う。それは時代に遅れたからという、大きな単位ではなくて、単純に‘まだ自分がださかった’にすぎない。じゃあ、今はださくないのか?といえば、前よりはましかもしれないが、やっぱり‘ださくない途上中’なだけで、正確にはださいのだろうと思う。ちなみにだささの原因とは一体何か?と考えると、1.自分のことをよく知らないため、流行などの情報に惑わされて自分の生きるスタイルに似合うものが選べない。 2.良いものを見ても、それを見るだけの感覚に足りていないため、価値がわからない。この2つにつきるんではないか。この歳になると、センスを磨くためには余分な物(精神的な意味あいも含めて)を捨てることが大事だとわかる。しかしそう考えると、若い頃は、歳を取ったときに捨てられるものがあるように、あれこれかき集めてみることも案外大事なのかもしれない。人の猿真似をしてみたり、人の持っているものを欲しがったり、人がうらやましく見えたり。これは若い頃にかき集める余分なもののほんの一部。そうして、集めたものの中から自分に必要なものだけを残して、捨てる。人から得たものが、自分を創る核となることも多い。そうしたセンスの成長過程とは、人間臭く、なんとみっともないことか。振り返ると赤面してしまうような幾多の経験や時間の末に、センスははじめてその人のものになる。形ある物を選ぶ行為は、結局、形のない自分だけのセンスを手にいれるための箱なんだろうなあと、ダッシュボードでちんまりと光っているオーブを眺めながら思う。
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